ボランティアよ、『ヒーロー』であれ

espoir-ami2005-09-08

 僕のボランテイアのお手本は、「ウルトラマン」や「鉄腕アトム」と云った所謂ヒーロー達である。誰にも頼まれていないのに自分の大切な街・人達・地球を守っている。酷いときなんかトチ狂った人間に虐げられたりもする。僕はついつい思ってしまう。


・怪獣さん、あんな熱そうな光線吐かないでおくれ。痛そうだから。
・人間よ、少しは自分達で何とかしなさいな。
・わざわざ身を削って「すぺしうむ」なんか打たないでいいよ。
・一度負けたなら素直に帰っておいで。エネルギー補充してまた行くなよ。
・どうして自分に意地悪する人間を守ってあげるの?? 


でもね、皆一生懸命頑張るんだよね。戦った後には必ず『ありがとう』が待ってるんだもん。自分の友達がニコニコしていたら嬉しいってのと同じなのかなぁ???『ありがとう』のシーンでは必ずといっていいほど、ヒーローが照れてる。きっと

『ありがとうって言ってくれてありがとう』

って事なのかなと、深読みしてみた。


 
 およそ一番身近なボランティアって対人関係のモノだと思う(児童・障害・老人が主要3部門)。自分が児童に頻繁に携わっているのでそこに限った事であるが、思った事。
ボランティアよ、ガキ大将(家族)になれ
一昔前、ガキ大将と云えばがきんちょどもの統率者であった。彼の言う言葉は絶対であり、何かあれば守ってもらえた。「俺の〜〜〜をよくも泣かしやがったな」と、「俺の」と云う所有者がはっきりしている。自分の大切なモノ(者)が傷つけられたら許さないのである。それは同時に子供社会においての家族を意味しているのではなかろうか。
 ガキ大将とはそのグループの長である。一目置かれた存在『ヒーロー』なのだ。故に喧嘩が弱くてはお話にならない。何を勝ち取るにも己自身の力で奪うのである。尊敬も、欲しい物も。嘗められたらお終い。そこにはボランティアに必要な要素が含まれている気がする。

 
 子供は大人をよく見ている。人見知りもする。自分が認めていない大人には手を出したり、悪口を言ったり等の反応をしめす。犬と同じで、自分より上か下か、階級をつけるのだ。そうされない人間は誰か、近所のお兄さんお姉さんだ。一目置かれている理由、それは普段姿を見かけないから。未知数なのである。では僕等、学童のボランティアはどうかと言うと、継続すれば継続するほど親近感が沸く。故にマンネリ化しやすく嘗められやすい。改善策としては、何か一つ秀でたものを持つ事。好奇心旺盛な子供にとって、自分より凄いものを持っている「大人」と云うのは尊敬に値し、教えを請うようになる。所謂師弟関係が出来上がる。弟子は師の言うことならば何でも聞いてしまうものである。それが先に挙げた『ガキ大将』なのだ。僕達人間に「すぺしうむ」や「あいすらっが〜」放るのは度台無理な話なので、代わりと云うほどでもないが「必殺技」が必要なのだ。それに、「必殺技」はヒーローにだけ許された特権なのだ。今の世の中、腕っ節だけでは何の役にも立たない。また「大人の言うことを聞きなさい」なんて理屈、子供にはわかる分けがないのだ。そんな台詞をまことしやかに言っているのは、ヘタレな一部の大人だけだろう。子供が大人を理解できるわけが無いのだ。僕等が子供を理解できていないから、彼等が辛い思いをするのだ。彼等と同じ目線に立ち、背中で語る。是に勝るモノ無し。
 ちなみに女の子の場合。一緒に遊んでいる過程で、新しい遊びを提供したり学校で学んだ技を披露したりするだけで良い。男の世界とはまた違うのだ。男が男の子・女の子に接する場合、女が男の子・女の子に接する場合、差が出てくる。今回は男対男の子で検証してみた。機会があれば後者についても検証してみようと思う。


クリスマスのこと (ぼのぼのえほん)

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良い絵本。心が温まります。
写真は去年の千葉大祭。今年は何をやるのかな??