かなり本気で老人福祉を考える

 先ず、福祉とは何ぞや。




一番に思いつくのが、困っている人に手を差し伸べること。具体的に言うならば、ボランティアや職を通して児童・老人・障害者等と触れ合う事だと思う。




で、現在の老人福祉は福祉で無いと思うのが僕の持論です。




理由
?福祉とは弱者に対してするものであって、生きる気力の無い者にすることではない。
?現在の老人福祉は『姥捨て山』の一端を担っている気がしてならない。
?ウチの事業所で『老人福祉』を語れる人間がいない。
?ウチの事業所が福祉の現場とはとても思えない。




??はかなりココ最近ずっと考えています。
??は正直ただの愚痴です。




?について
児童も障害者も「生きる」や「何かをしたい」と云う気持ちが非常に強いです。例えそれがどんなに酷い障害を抱えていようが、どんなに酷い境遇に晒されようと、それは変りません。お父さんやお母さん、自分の身の回りにいる人が大好きでそれを形は違えど色々な方法で表現しています。困っているならば、そっと手を差し伸べてやり正しい道に戻してやるのが、それに携わる者の勤めです。
ところが、老人はどうなのでしょうか。全てが全てとは言いません。僕が勤めている事業所の利用者さんは大好きです。でもその中でも、物事を諦めてしまう人が多いです。冗談半分で「早くお迎えが来るといいな」なんて言う人もいますが、そんなのこっちにしてみればただのためし行動にしか見えないわけで。「あたしは頭が悪いからそんなのできないよ」簡単な塗り絵や作業に対して。「あのじいさんは'”(’&#&$%&”’’’&’!」←(悪口)此処には2つの問題点があると思います。この人たちはデイに何をしに来ているのか???お風呂だけならヘルパーか訪問でどうにかなるでしょう。二つ目・・・何かをやりたくない人達に対しておだてて何かをさせると云うのはどうなのでしょうか。上からの指示でもっと積極的に何かをさせろ的な発言が聞こえているのも事実です。声かけの技術としては必要な事なのかもしれませんが、認知症の年寄り捕まえてやるのはどうも気がひけます。




?について
家庭で支えきれなくなった年寄りを外に出す、その受け皿が『老人福祉』に思えてなりません。デイはその微妙な境界線にいるので外します。
老人ホームやグループホームショートステイの現状として「家庭内で見るのには限界」「面倒をみていて疲れた」から預ける・入所させると云う状況が多いと思います。特に認知症になって身内も分からなくなってしまって攻撃型になってしまった場合、最早普通の人では対処しきれないのではないのでしょうか。専門家の元で、その人なりの生き方をしていく事が家族にとっても当人にとっても幸せなのか・・・




??について
昨年まで勤めていた児童相談所やボランティア先からは想像もできないよ・・・・・あの人達、本当に仕事をする気があるのかなぁ・・・。最早福祉ではなく、ただのサービス提供者でしかないんだろうなぁ。












今の本音として・・・・・
今の職場辞めたいかも。上司が嫌。はっきりしないし適当。周囲の苦情もマジ半端ない。本部も何考えて配属したんだか。スタッフが嫌。声かけもっとしろよ。下のもんに指示出して仕事覚えさせるのも仕事の内だよ。









K山さんがいなくなってから、@は本当に静かです。寂しいです。