武の道

 古来より、日本には武士や侍がいて、「武士道」と云う言葉があった。読んで字の如く「武士の歩む道」の事で、戒めや哲学的な意味を持っていたのではないかと僕は考える。近代になるとそれは「武道」と云う言葉に置き換えられた。現在「空手道」「柔道」「剣道」「合気道」等の名称のものは、元々「術」であった。「空手術」「柔術」「剣術」「合気術」等である。この前者と後者に違いがあるのかといえば、そんな事は無い。「術」と名乗っていても「道」と名乗っていても根本は変らない。拳の道も、剣の道も同じ、人が生きる道である。




 この世の全てのものに命がある。吐息にも草木にも、散った花びら一枚にも同様の命がある。




 「人の歴史」は「殺し合いの歴史」であると言っても過言ではない。歴史の勉強をしていると戦争や戦、或いは政の争い事ばかりだ。大昔の人の寿命は概ね30〜40歳くらいだったと言われている。現代に比べればそれはとても短い。当然のことながら若くして戦場に出る者や、食糧事情のために大人になる前に命を落とす者もいたであろうことは容易に想像がつく。ただ、日々たくさんの命が失われる中にいるからこそ、命を大切にしようと思えたのではないだろうか。廃材を利用する方法はこの頃からあり、リサイクルなんて横文字がつかなくとも極々当たり前のことだった。一つの命を奪うことで一つの命が保たれる。その奪ってしまった命を大切にしようとするからこそ、優しくなれたのでは。

 日本に古来から伝わる「剣術」や「柔術」の技術内容は殺人を目的としたものだった。近年、護身術と呼ばれている少林寺拳法合気道も実はそうで、皆戦後を過ぎても綿々と伝えられ今日に残っている。それらに共通していることは「徒に人を殺めてはならない」という訓え。現代風に訳すならば「むやみやたらに喧嘩をしてはいけないよ」と云うこと。これはそのままの意味で理解している人が多いと思うが、実はこの裏に隠された意味がある。「自分の命も、相手の命も思いやり、大切にすること」これである。武道・武術の極意は「戦わずして勝つこと」。争わずして争いを治めること。自分の命も相手の命も互いに大切にし合う心が最上とされている。

 




 

仁は人の心なり。義は人の路なり。

これは孟子の言葉です。「優しさは人の心であり、義侠心は人の歩むべき路である。」武士道・武道を表した素晴らしい言葉だと思います。



僕はこう思います。





『人の路は武の道である。武の路は福祉の道である。』と。

















文に脈絡がないね。・・・・・はぁ。