考えてみる

 考えてみる。今丁度日テレで『未成年の性と生』というのを考えている。




何だろう。何でしょう。正直分かりません。
援助交際は反対です。自分に関わる未成年者がそんな事してたら、相手は確実に死刑に処します。その子もきついお灸を据えるでしょう。自分より弱いものをお金で釣ることは人としていけない事だし、自分自身に値段をつけて人に売りつけることは間違いだと思うからです。そもそも、自分で責任が取れないならば「商売」しちゃいけません。だから「労働基準法」や「人権」に護られたいわゆる普通の「アルバイト」をするのがいいと思います。


風俗は賛成です。ビジネスとしてならプロの人が責任をもってできるから良いんです。お金もはらんでくるし、払う方にも払われる方にも責任が伴うし、サービス業としてダメであれば自然淘汰されるでしょうし「商売」の定理で当てはまる気がします。生きていく上で身につけたスキルや「技」、自分自身を使ってお金を儲けていくことはいいことだと思います。時代ややり方は違えど、食料を手に入れ国を護り物を売って、そうして文明は発達してきたんだから、「風俗」もその一つだと思う。


「性を売り物にしている人」は世間から冷たい目線を浴びることが多いと思うのだけれど、それは間違いだと思う。自分自身を生きていく上での武器として誇ることは素晴らしいことだと思うけれど、未成年者にはそれはできません。だから援助交際は反対です。


sexは子孫を残していく行為であって、遊びではない。たぶん快楽の一つとして解釈しているのは類人猿やその他の動物一部だと思う。確かに快楽の一つではある。人間は「快楽」をえるとその方向へ行きやすくなると言われているし、自分自身もそう。授業サボることもあるし優しい言葉かけてくれる人の方が好きになることもあった。僕の師が『人は安きに流れる。だからこそ、そうした時に一歩とどまれれば、それが成長の第一歩である』と言っていた。確かにそう思う。だけど苦労するってのは大変なことだし、できればやりたくない。でも苦労しなくちゃいけないし、大変な思いをしないと生きていけない。それが勉強だとか仕事とか嫌なんだなぁ・・・でも好きな遊び、例えばサッカーとかバスケとか釣りとかカラオケとかなら頑張れるんだ。人間て不思議。




そう考えると、「死」も「安き」の一つなのかなぁ・・・。僕は自殺一歩手前までやったんですが、それが最後の道でしかなかった。その時に僕を止めてくれたのは犬の、ラブの一声でした。ハッと我に返って、血を見て、泣いて、やめました。今ならバカだったなぁ、って、間違いだったって思えるけど、その時はそうは思えなかった。その時は小学生で信頼できる先生もいなくて一人ぼっちで、父や母に相談することは罪悪だ(何でだろう?)って考えてて、う〜〜〜〜〜んみたいな。今テレビに出てる人とかが、「死んではいけない。生きていればきっと良いことがある」なんて言うけれど、死ぬこと考えてる人間にそんな言葉なんて届かないんだよね。目の前にある苦が一瞬でも早くなくなることが一番なんだもん。


でも一方で、最近は真逆なことも考えたりする。
話が飛躍するんだけど、動物界(人間以外で人間が関わっていない)では、弱い生き物は死んでいくんだよね。例えば体が弱かったりして餌が確保できない、捕食者から逃げられなければそれは死を意味するわけで。そうして自然界のバランスは保たれてきたし、特に何が栄えるなんてなかった。だけど人間はそうした自然界の法則に逆らってきたからこうして栄えてきたし、今がある。それを考えると、死にたい人は死んでもいいのかなって思ったり。生物として生きる力を失ったら、それは仕方ないんじゃないのかなぁって。




だけど自分の知り合いには誰一人死んでほしくない。




それを思うと今度は、やっぱり死ぬことはいけないことなのかなって・・・・・。




分からない。




そもそも、どうして人は死んではいけないんだろう。




くだらない嗜好食品や毛皮のためだったら他の動物殺してもよくて、どうして人間は殺されちゃいけないんだろう。ニュースとか見てるとホントにそう思う。
だってさ、人間が生活場所奪ったから熊とか猪とか猿が里に下りてくるんでしょ?人間が自然界のバランス崩すからカラスとか虫が大量発生したり、蜂が民家に巣作ったりするんでしょ?なのにそれで自分の身を護れなくて死んだ人がいたら、その動物は報復にあうわけで。それがワガママに思える。




あぁ・・・・・分からない。




今度どなたかお酒でも酌み交わしながら語り合いませんか?