過去の自分

 



自己犠牲が美学だと勘違いしている


今日の『Ns'あおい』の劇中での台詞です。ドラマは医療の世界の現実を描いていましたが、それは福祉の世界も同じ。理想を描く人間がいて、現実を見つめる人間がいる。必ずそれらはぶつかり合う。そしてそれはどちらも間違いではなく、どちらも正しい。



僕は大学に入ってからボランティアを続けてきた。時には疲れ果て、倒れた時もあった。学校に行き、ボランティアに行き、帰って寝て、また学校へ行った。度重なるストレスと周りとのぶつかり合いで、リストカットもした。家族にも当り散らした。日々が辛く、どうして周りは子供たちの思いを理解できないのだろうと苦悩していた。子供たちは、いつも笑顔で迎えてくれてた。その笑顔に、僕は応えたかった。




ボランティアと云う行為を繰り返せば繰り返すほど、色々なモノが見えてきた。それは子供たちの行動パターンであり、学校生活であり、現場であった。様々な事が起こる。子供同士のいざこざや、職員と子供の問答・・・学ぶことは多々あり、それを吸収しようと躍起になっていた。




いつだったか、子供に手紙をもらった。
独りでボランティアに行くようになって、経験不足の僕は子供と関わり合いが持てなく悩んでいた。たまたま一人の女の子が突っかかってくるようになり、その子と過ごす日々が続いた。ある日、仕事が終わりボランティア日誌を書いている時にその女の子がやってきた。緑色の折り紙を三角に折って、恥かしそうに渡しにきた。それにはつたない字でこう書いてあった。
「いつもバカっていってごめんね。いつもいっしょにあそんでくれてありがとうまたいっしょにあそぼうね」
嬉しかった。他の子からも同様に手紙をもらった。
「またきてね」
「次いつくるの」
「おりがみありがとう」
絵が描いてあったり、旅行のお土産だったり、手作りの紙細工だったり。思いの詰まったそれらは、心の支えだった。
僕にとってその思いに応えることは、自分の身を削って、彼らと触れ合うことだった。遊びに夢中になり子供にケガをさせてしまったこともあった。弱いものいじめをする子と喧嘩をしたこともあった。グループ同士のいざこざの中心に立ってしまったこともあった。地域の子供会でレクをしたり、保護者とよくおしゃべりもした。職員が手薄の時は引継ぎや仕事をしたりもした。思い返せばきりがないくらい、色々な経験をした。




こうした経験を通して、僕の中に「ボランティアとは自己犠牲の上で成り立つ」と云う信念ができた。頑張れば頑張っただけ、子供達との絆が深まり、職員との絆も深まった。辛そうな顔をしていると、心配して子供たちが「だいじょうぶ?」と声をかけてくれた。疑問や悩みがあれば職員が仕事の合間を縫ってでも応えてくれた。お迎えがきてさようならをする時、子供たちは「またあしたね」と言った。現場に出て必ずやひつようになってくる事を学んだ。
それは子供を思う気持ち。
いつも一人でいる子が一緒に笑ってくれたらいいな。あの子にいろんなお話を聞かせてあげたいな。明日の誕生日を祝ってあげよう。この子が勉強が好きになるにはどうしたらいいかな・・・・・
蹴っ飛ばされたり、殴られたり、罵声を浴びて、突き放されて、全身全霊をかけて子供達にぶつかってきた。そうして子供たちも僕にぶつかってきた。




帰り道、幾度となく泣いた。言葉にならない思いが溢れ出た。




僕は『ボランティアサークル』に所属している。文字通りサークルで、ボランティアで、そこには一切の強制がない。ただ、そこには必ず責任が存在する。




責任のあるボランティアを


これは僕の師の言葉です。一度関係をもった子供を、見放すなんて僕は出来ない。子供が好きだから、ただ何となくボランティアがしたいから、そんな軽い考えでできるほど児童を相手にするボランティアは甘くない。だから僕は自己犠牲を払ってでもボランティアをするべきだと信じている。本気で子供が好きなら、子供を思う心があるなら、必ずそうしなければならない。




「ありがとう」




これが僕のボランティアの原点。僕はもう一度これに立ち返らなければならない。




自己犠牲は美学なんかじゃない。