武道

 武術の稽古は大きく分けて2種類ある。




『質』と『量』、この二つは本来別々のものであってはいけないのだが、とりあえずこれについて考えてみようと思う。




実はこの二つ、更に細かく分ける事ができる。
『質』・・・・・これは言わずもがな中身の事なんだけど、具体的に表現してみる。


○動きの質・・・・・技の一つ一つを基本に忠実に再現する。当然型稽古となって、動きは決まってくる。また、場合によっては臨機応変な、相手に合わせた変幻自在の動きに変わる。一つ一つの技の完成度を一つ一つ高めていく。自分本位の身勝手な技にならないよう、仕手と受けが一つの物を作っていく。


○心の質・・・・・如何に真剣に取り組むか。相手を動かすのか、自ら動くのか、相手に攻撃の機会を与えるのか、しっかりと相手につかませるのか等等、何気なくやるのではなく、一つ一つの動きに全神経を集中させて取り組むこと。





『量』・・・・・「量」とは「数」の事だが、何の数かが具体的に問題になってくる。
○全力の量・・・・・僕の師の言葉だが「10本打ったらもう動けないくらいの力を出せ」と云うのがある。普段、一見すれば本気で動いているように見えるが実はそんな事は無く、何回でもできるような動きをしている。そうではない。人間本気で動けば足腰が立たなくなるくらいの力は出せる。如何に少ない数で全力を出し切れるか、この本気の数で稽古の成果が分かれてくる。


○絶対的な量・・・・・一つの技が本当に自分のモノになるまで、ひたすら繰り返す。百や千なんてものではなく、万、億といった途方もない数に挑戦する。どんな物も、必ずやった数だけ身につくもの。例えば自転車は転んだ数だけ、歌は歌った数だけ、掛け算は暗唱した数だけ上手くなり、出来るようになる。








これらは一つ一つをみると、偏った頼りないものになってしまうけれど、両方併せ持てばかなりなものになる。また、どれを見ても、「あれ?これとこれ似たような事書いてない?」と感じると思う。その通りで、本来は表裏一体のモノなの。




最近稽古してて思うのは、皆どれだけ本気の稽古をしているのかなぁ、なんてこと。明らかに稽古が終わると気持ちよさそうな顔をして皆帰っていくんだけど、僕は一回稽古したらハァハァ_| ̄|○
こんな状態。確かに体力無いのは認めるけどさ・・・・・全力を出すことは、そんなに嫌なことなのかな?目を向けたくないようなことなのかな?




これは武術稽古に限ったことではない。(毎回ボランティアの例えしか出さなくて申し訳ないが今回も出すよ!!)子どもを対象にしたボランティアでも同じ。子どもと関わる時に中途半端にのらりくらりとやっているような人には子どもはついてこない。やっぱり全力で遊んで、全力で笑ったり怒ったりする人のところには自然と子どもが寄ってくる。本気を出せば出しただけ、心や体は疲れる。だけど面白いことに、人間の身体(心体)って回復する時に次に同じ負荷がかかっても耐えられるように強化してくれる。また、全力で物事に取り組めば、周囲は(或いは自分自身が)全力で応えてくれるように世の中は出来ている。よく人生経験豊富って言葉を耳にする。何が豊富って、どれだけ物事に取り組んできたかってこと。それも、本気で。

確かに疲れる。しんどい。出来ることなら楽をしたい。だけどそこで一踏ん張り。大きな力を手に入れるには、大きなリスクを背負わないといけない。がむしゃらに頑張って、疲れたら休む。これ大事。




この前、久しぶりに心を全開にしたら子ども達がワラワラ寄ってきて、キス攻撃にあった。それだけじゃない。両手両足を押さえられてくすぐり地獄、しまいにゃ他のボランティアも寄っていじってくる始末・・・・・・ええ、もちろんしっかりと逆襲しましたけども、何か?心を閉じて子ども達が去った後、僕はレイプにでもあったかのようなボロボロの格好でしたよ。でもね、大変だったけど、面白かったよ?








確かに数をこなす(ボランティアに行く・量をこなす)事は大切。でも、それにどれだけ本気を出せるか。何気なくすることも、本気でやれば十分鍛錬になる。




バイトでも勉強でもそう。何でも本気を出して、全力でぶつかってみる。疲れたら飯食ってしっかり寝る。これ人生の基本。