現実問題

 僕はボランティアサークルに所属している。専門としているのは学童保育で小学一年生〜六年生、母子生活支援施設が併設されているので時には幼児や乳幼児をみることもある。そんなボランティアサークルの話し合い・・・一年間を通しての反省・改善点を皆で話し合った。


 話し合いで出た内容は以下のようなもの・・・・・
・ボランティアに行けなかった
・活動をしている人が少数(大半がボランティアができていない)



 理由は
・子供が嫌い
・本当は行けるけど、理由をつけていかない
・行くまでが辛い
・行きたくない


 解決策として
・今後もきちんと活動できる部員を施設側に伝え、諦めてもらう。
・会則『週一回のボランティア活動』を『月一回の活動』に変える。




大雑把に纏めるとこんな感じ。皆さんはこれを読んでどう思いますか。



僕たち部員は入部する際に「週に一回のボランティア活動を行う」事を承認している。



 遡る事2年数ヶ月前、僕が大学に入学し、ボランティアサークルに入部した。最初は先輩方が一緒にボランティアに行ってくれていた。その頃は僕も週に一回の活動を守っていた。ボランティアが終わった後は、活動日誌を書きながら先輩方にその日の悩みを相談するのが日課だった。別の曜日も同じだったようで、同学年の子達からも同じような話を聞いていた。ところが後期になると先輩方の姿が減っていき、10月になると上級生は誰も来なくなった。最初は同期の子達と分担して人がいない日が出来ないようにしていた。週に5日・・・全部を埋める事はとても大変な事だった。結果的に、自分ひとりでボランティアに赴く事が殆どだった。
 翌年、新しく入ってきた一年生の大半を見学に連れて行った。活動は変わらず週に3回4回。後期に入ると一年生も週に2回来てくれるようになった。本当に嬉しかった。春休み中に先代の部長さんはこんなメールを送ってきた。
「最近ボランティアに行けてないんだぁ。ここ2〜3ヶ月、バイトと恋愛に時間を費やしちゃって(^^;」正直幻滅した以外の何物でもなかった。
 今年になると、3年生・4年生は誰も行かなくなり、2年生が主体になっている。それも、3人ほど。




 いったいどうしたものか。「皆サークルに入った動機が違うから。それに入部するとき週1だってそんなに真面目に考えてなかっただろうし」とは現部長談。動機が違うとは、友達を作って仲良くなりたい・将来のことを考えてボランティアを通して学びたい・子供が好きだから・サークル入って飲み会行きたい等々・・・・・理由は何でも良いと思う。それがその人らしさだとも思うし。そうしてきっかけは何であれ、ボランティア活動を通して向上心なり子供との絆が出来ていくものだと思うのだが、年々それが薄れていく。何よりも子供達が可哀想だ。




 ここまで長々と話してきたが、こうしてボランティア活動ができていない人達が『保育士』や『社会福祉士』になろうとしている。お金(報酬)を得るから『責任』が生じるのだろうか。否、何もない所に自ら責任を負わせる事が出来るから収入を得るようになっても、きちんと仕事がこなせる気がする。





もしも自分の子が家族がそういった人間のお世話になると考えたとき、皆さんはどうしますか?学生時代の話だから、たかがボランティアだからで済むとは、僕は考えれない。こうしたボランティアサークルに存在意義などあるのだろうか。









川の流れのように/愛燦燦
美空ひばりはこの曲について「人生のような曲。」と語っていた。僕はこの歌を歌いきることが出来ない。聞いていても涙があふれてくる曲だ。僕はこの人を『世界一の歌い手』だと心から思っている。