Future is now.

espoir-ami2005-09-17

 とりあえず車を修理することになった。自分でぶつけたのだから、当然の責任だ。でないと彼が可愛そうだ。かれこれ10年近く乗っているから、愛着もある。僕が中一の冬にその子はやってきた。高校に入って、自転車を載せたりラブと一緒に母の運転で色々な所に出かけた。そして時は過ぎ、今では僕が運転している。お気に入りのCDかけながら当ても無く走るのが、僕とその子の過ごし方。形は変ったけれど、時には友達を載せ、買ったものを載せ、彼は一生懸命走ってくれている。今までどうもありがとう。頑張って働いて、君を治すよ。
 車をぶつけた時、気を失っていたのには正直驚いた。バックしていて、「フッ」っと意識が飛んだと思ったらリアガラスが割れてた。友達と食事をして、その後気分が悪かったのだが、カッコつけて走っていたのが仇になった。皆さん、体調が優れないときの運転はやめましょう。一歩間違えると死にます、マジで(゜д゜)元々自律神経や心臓が悪いので普段から注意しないといけないのだが、此処最近は忙しさにかまけて怠っていた。この歳になると体調管理も仕事の一つになる。気をつけよっと。


 さて、今回の事故に伴い引っ越すことになりました。母方の祖母宅、旭市へ。僕が生まれて中学卒業まで育った街。一昨年祖父が亡くなってから一人ぼっち、僕に直接電話もかけてきて、寂しかったんだと思う。
 元来遠藤家の血筋では女の子しか生まれなく、男は祖父一人。僕が生まれた時、最も喜んでいたのは祖父母だった。小さい頃は保育園をサボり、祖父母の家に遊びに行ったものだった。当時は曾祖母がまだ元気だった。おばあちゃんに挨拶を済ませると、離れの二階の曾祖母へ会いに行き、『ぽたぽた焼き』を一緒に食べるのが僕の日課だった。今でも『ぽたぽた焼き』を見ると曾祖母を思い出す。曾祖母も祖父もいたずらっ子で、僕に煙草の吸い方を教えたり、マッチの使い方等を良く仕込まれた。また僕も、新しいことを覚えると直に人に見せていたので、その度に家族会議を開いて祖父と共にお説教を受けたものだ(曾祖母は知らん顔)。
 新しいお店がオープンすると祖父母と三人でおでかけ。三人でサーカスや動物園に行ったこともあった。母が塾を経営していたので、その間は祖父母と三人で食事をしたり談笑して過ごしていた。それも高校に入るとパタリと無くなった。そして高校二年の夏、祖父が倒れた。脳梗塞・・・お酒と煙草をこよなく愛する祖父には避けては通れない道だったのかもしれない。授業が終ると自転車で祖父に会いに行った。眼もほとんど見えず、唯一働く聴覚・ごにょごにょと口を動かし僕と話をしてくれた。時には「かあちゃん、財布もってこい。肇にこずかい出すべや」なんて言ってた。たいして会いに行くこともできなかったのに・・・。本当にありがとう。おじいちゃんに出来なかった分、おばあちゃんに孝行するよ。
 ナナは今年で12歳になるよ。写真見れば分かると思うけど、おじいちゃんがいなくなってからは毎日寂しそうなんだ。時々散歩とかにも連れていってあげるね。おじいちゃん、これからも僕達家族をラブと一緒に見守ってて下さい。




過去と現在(今)はつながっている。未来もきっとつながってる。だから、今を、頑張ろう。